家族を思う気持ち。チリの落盤事故を通して考えたこと。

まだ興奮冷めやらぬ、チリの落盤事故の救出劇。
全世界が注目し、祈った。本当によかった。
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ところで家族は2ヶ月間、周囲に仮設住宅を建設して生活したという。子どもたちも臨時の学校に通って、父親を待ち続けた。家族はかたときも離れようとしなかった。中には妻と愛人が登場するという人間臭いドラマもあったようだが。
自分の家族が非日常にさらされた時、それまでの自分の日常を一切切り捨てて、もしくは中断して、その家族に寄り添う。改めて家族の大切さを思うきっかけでもあった。
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去年母が手術を受けた。癌の診断を受けての手術だ。実家が離れていることもあり主治医からの説明などはすべて母本人と父に任せていて、手術当日は私も行くことになっていた。
ところが、である。父が「手術当日は重要な会議があるから、どうしても病院に行けない」と言い始めた。妻が全身麻酔で手術をするというのに、それより大切な会議ってなに?今どきそれを強いる組織ってなに??これが組織で働いてきた団塊の世代の常識かと思うと、寂しく空しくなった。
会社での役割も大切だが、時代は変わっている。過渡期と言わなければならないかもしれないが、かけがえのない家族をちゃんと優先できる世の中だ。ましてや父の世代はもう第一線から退いてもいい頃かもしれない。つまり父がいなくても「重要な会議」は進行し、決定し、実行されるだろう。
父は最終的には母を優先して病院に来たが(当たり前だ!)、手術室から麻酔をしっかり覚まされて戻った母を確認するなり、やっぱり職場に向かってしまった。そんな仕事、明日でもあさってでもできるだろうに。ちなみに両親は二人暮らしになってしまった今でも変わらずとても仲がいい。
もうひとつ言えば、医学は進歩して安定したといっても、100%安全に手術が終わるとは限らない。医療者側としては不測の事態になったときのために、やはり家族には院内に待機していていただきたい。
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全員救出を喜ぶとともに、大切な家族をなによりも優先するチリのあの家族に、多くを学んだこのたびの報道であった。