ともに看取る

両親が、今日祖父母のお墓参りに行ったそうだ。
小高い丘の霊園に眠る二人。祖母は私が高校の時に亡くなった。
祖父は私の大学進学をとても喜んでくれたけど、大学生の時に亡くなった。肺がん。年末に血痰が出て病院に行った。年齢的に手術を勧められたけど、正月は息子たち家族が来ることになっているし、身体のことは年が明けてから、と1月に手術を予定したそうだ。実は私は知らなかったけど。
さてそのお正月は私も一緒にビールを飲んで、楽しく過ごした。顔を真っ赤にしながら実においしそうにビールを飲むおじいちゃん。もともと同居ではなかったし、受験〜大学にかけて年に1-2回会うだけになっていたから、特に体力の衰えなどには気づかなかった。
しかし手術の前々日くらいから、急激に全身状態が悪くなり、手術どころではなくなってしまった。私も電話で母から状態を聞かされてはいたけど、「手術ができなくて」と聞いても「延期か」くらいにしか思っていなかった。事態はどんどん悪くなり、結局手術予定だった日から1週間もしないで亡くなってしまった。
病院には母が通っていたのだけど、いよいよだと病院から呼び出されて母が1時間かけて行く間に、息を引き取ってしまった。

母は間に合わなかった。
いま、この仕事をするようになって思う。なぜ主治医は日中なのに、30分ほどの時間を待ってくれなかったのか。死亡時刻は心電図モニターが止まった時刻ではなく、原則として家族を待って「死亡確認」を行い、その時間を死亡時刻とする。祖父の場合、実際の心停止時刻は呼び出しの30分くらいあとだったと思う。母が30分で着くとわかっていながら、主治医は家族の到着を待たずにさっさと死亡確認をしてしまった。
病院によって風習も違うだろうし、方針も違うだろう。それに私が働いている地域も違う。もっともな理由はあるかもしれないが、家族としては「看取ってあげられなかった」という思いが残ってしまうのだ。